BASIピラティスでも、生演奏のアンビエントミュージック(環境音楽)をバックにピラティスを行う「生ピラ」という特別レッスンが不定期で開催されている。演奏するのは音楽家であり、医師の伊達伯欣さんだ。
伊達さんは、自らが院長を務める「つゆくさ医院」で、漢方と西洋医学の併用という珍しいスタイルで診療を行っている。西洋と東洋、科学と自然治療の両面からの視点を持つ身体のエキスパートだ。
「生ピラ」の参加者からは、普段のレッスン以上に内観が深まり、集中することができたという感想が多く寄せられるが、それはどうしてなのか。
音楽とピラティスの関係、さらには「健康とは何か」という本質的な問いについて、伊達さんに話を聞いた。
ピラティスとアンビエントミュージックは似ている
私はピラティスの専門家ではありませんが、何回か「生ピラ」をやらせてもらう中でピラティスについて感じたことがあります。それは、ピラティスとアンビエントミュージックは似ているということです。
ピラティスをやるのには、専用の器具を使うことが多いですよね。ほとんど器具を使うことがないヨガとは対照的で、機械やテクノロジーを積極的に用いるという点で、とても「都会的」という印象です。
自然とテクノロジーとを対立した概念と考えて、テクノロジーを良くないものであると主張する人もいます。でも、現代社会においてはもはやテクノロジーなしで生きていくことは現実的ではない。
その点、ピラティスは「都会の中でより良く生きるため」の方法論としてあるように感じました。
私たちはさまざまな機械音に囲まれて現代を生きています。都会で生きるとは、すなわちモーター音とともに生きることとさえ言えるかもしれません。
アンビエントミュージックは、それと意識しないと顕在化しないのに、意識するとすごく奥深いという点で、呼吸と非常に似ています。つまり、音楽が環境になれる音楽です。音楽家がいない、あるいは意識されないところで音楽が発生していることが重要です。
今でこそ、音楽家のいない場所で音楽が流れるのは普通のことですが、実はこれは、録音というテクノロジーが到来したことによって、初めて実現し得たものです。その音楽は、テクノロジーの産物でありながら、流すことで逆に静寂が生まれます。アンビエントミュージックは、機械音に囲まれた現代社会の環境を変える力を持っている。
その意味でピラティス同様、「都会の中でより良く生きるため」のツールとも言えるでしょう。
生ピラでは演奏者の存在を隠しつつ、そこにいる人たちのための環境を作り出しています。いつものレッスン以上に内観が深まるというのは、このような両者の親和性から来るのではないでしょうか。
ピラティスは非常に呼吸を大切にしますから、そのあたりにも相性の良さの秘密があるような気がします。私自身、生ピラで演奏していると毎回必ず、参加者の呼吸音と音楽とがマッチする瞬間が訪れるのを感じるんですよ。
西洋的要素と東洋的要素を併せ持つピラティスの可能性
現代社会をより良く生きるためには、西洋医学と漢方を適切な方法で使い分ける必要があります。みなさんの中には西洋医学を万能なものと捉えている方もいらっしゃるかもしれませんが、それでは危ないというのが私の主張です。
例えばアレルギー症状への対処を考えてみてください。西洋医学だとアレルギーを起こしている免疫を抑えるという処置をとりますが、こういう治療は根本的な身体の治療をしていません。同じ物質に対して、異常反応を起こさない身体を獲得している人はたくさんいるのです。
症状を抑えるだけの対症療法である西洋医学に対して、東洋医学は根本解決を目指す方法論です。アレルギーに鈍感になることを目指すのではなく、人間の英知を使って、そういうものに打ち勝つ身体を作るのです。
どちらが優れているということが言いたいのではありません。それぞれ得意分野が違うということです。
デジタルな技術は、音楽のノイズを消す、写真に写り込んだいらない箇所を消すなど、何かを「削る」のが得意です。しかし、そこになかったものをゼロから生み出す力は、自然の摂理を経由したアナログ技術の方が強い。
医学もそれと同じで、痛みを消すのは西洋医学が得意とするところですが、生きる力、元気を生み出す力は東洋医学の方が上です。
ピラティスがヨガと似た部分を持ちつつ、より「都会的」だというのは、言い換えれば、東洋的要素と西洋的要素を併せ持っているということです。
内観を重視し、生きる力を内側から生み出すという点では、ピラティスは東洋的です。ピラティスをやると気持ちが落ち着くというのも、「肺=呼吸」が「肝臓の火=怒り」を鎮めるという、東洋医学の「五行論」で説明することができます。
一方で、ピラティスはヨガよりもずっとロジカルで、物質的。つまり、西洋的な部分も備えています。
これは非常に重要なことです。というのも、世の中が変われば、その中で生きるための最適な方法論も変わっていくものだからです。
日本の漢方薬は、江戸時代の教えに基づいたものではありますが、当時のまままったく変わらない方法では、飽食の時代になった現代の諸問題を解決することはできません。
そうした意味で、ピラティスは時代に即した方法論であると言えるでしょう。
「自分を知ること」こそが、健康への第一歩
健康とは何か。僕自身も確たる答えにはいまだにたどり着いていない、難しい問題です。
例えばインフルエンザが流行った時に、高熱を出すのは若い人ばかりです。これは、若者が上の世代と比べてひ弱になったことの証拠なのでしょうか?
もちろん違います。熱を発散することができない高齢者の方こそ、ウイルスが身体の中で増殖し、脳炎などになってしまったりするのです。
悪いものを食べた時に嘔吐してしまうのは不健康だからでしょうか?
これも違います。悪いものを中に取り込まずに吐き出せるのは、むしろ能力なのです。嘔吐したから不健康なのではなく、健康な状態にあるからこそ嘔吐できる。
健康とは何かというのは、一見して受ける印象以上に難しい問いなのです。
免疫学的な観点から言えば、体内に入ってきたものが自分にとって有益なものかそうでないかがはっきり分かって、違うものを排除できる能力は非常に大切です。
これは、決して食べ物に関してだけ言っているのではありません。
欲望には自分にとってプラスに働く「いい欲望」と、百害あって一利なしの「悪い欲望」とがありますが、より良く生きるためには、自分が今感じている欲求が、自分にとって本当に良いことなのかどうかを判断できることも必要でしょう。
そう考えると、前提として「自分を知っていること」が何より重要になってきます。
その点、ピラティスにしてもヨガにしても、常に自分との対話がありますから、続けていくことで徐々に自分というものを知ることができます。
自分なりの健康も分かってくるし、自分なりの欲求というものも分かってくる。「自分を見る」というのは、健康への良い導線となるはずです。
text by Atsuo Suzuki
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伊達伯欣さんによるアンビエント生演奏✕ピラティス「生ぴら」開催情報
生ぴらとは、瞑想を主眼としたピラティスを行うクラスに併せて、音楽家がその場で生演奏を行う企画です。流れることで静寂を生み出す音楽であるアンビエント・ミュージックが、あなたの心身を都会の喧騒から解き放ち、一期一会のより深い身体感覚へと誘います。
開催日時:2016年 10月23日(日) 16:00〜17:00
開催場所:basiピラティス恵比寿スタジオ
参加費:4,000円 (30名限定)
お申込はこちら
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伊達 伯欣(ダテ トモヨシ)さん
個人HP・つゆくさ医院・連載「音と心と体のカルテ」
1977年ブラジル・サンパウロにて日本人の両親の間に生まれる。3歳までブラジルで過ごし、千葉県の成田市で育つ。18歳の時に日本国籍を選択。小中高と野球と空手、音楽に励む。高校卒業後、新聞奨学生を経て日本医科大学医学部に入学。
大学3年生の時から東洋医学(中医学)を学び始め、卒業後は海老名総合病院にて初期研修および内科研修を行い、その後日本医科大学救命救急科、同東洋医学科に在籍。同大学院にて免疫学を学ぶ。救命救急科、東洋医学科、総合診療科の医師として勤務しながら、救急医療の場において処方の8割以上が漢方薬という東洋医学を中心とした総合診療を行なっていたところ、漢方診療の継続を希望される患者さんが増え、2014年10月3日より「つゆくさ医院」を開院することになる。
また高校生の頃より音楽活動を行なっており、学生時代よりアンビエント・ミュージックと呼ばれる東洋思想に基づいた瞑想的な音楽を制作。これまでに国内外から15枚のフルアルバムを含め、多数のCDやレコードを発売。ヨーロッパ・アメリカなどの演奏ツアーを敢行。音楽の身体作用を東洋医学的な観点から考察を進めている。
ドイツStephan Mathieu, アルゼンチンFederico Durandといった海外の音楽家をはじめ、中村としまる、秋山徹二、Ken Ikedaといった即興・音響系の音楽家との共作も重ねている。2013年には坂本龍一、TaylorDeupreeと山口県YCAMで共演、CD作品「Perpetual」を発売。
執筆活動も行なっており、webサイトele-kingなどで連載、2015年4月には東西の医学と食事・音楽に関する本「からだとこころの環境」を発売。
Amazon:「からだとこころの環境」
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