こんな本屋に、行きたかった
こんな本屋に、行きたかった
08|すぎのいえ書房「コンセプトは、こだわらないこと。自分が心から楽しいと思うことで、訪れた人が楽しんでくれたら」

連載企画「こんな本屋に、行きたかった」。第8回は、福島県の海沿いに位置する、いわき市の住宅街でひっそりと営まれている本屋「すぎのいえ書房」です。
店主・渡辺謙吾さんの自宅ガレージを改装した住居一体型の本屋には、約8000冊の本が並びます。中古本を中心にジャンルを限定しない棚づくりを行う一方で、店内には車やバイクにまつわるものや、長年集めてきたコレクションが置かれており、モノレールなども走っています。
「コンセプトは、ないですね。こだわらず、自分が楽しむこと。お店を営むうえで、一番大切なことです」
父親や一匹の迷い猫の存在、人生後半を考える年齢になったこと。様々なことがきっかけとなり、技術職から本屋へ転身した渡辺さんのお話は、自分が心から楽しむことが、誰かの楽しさにつながっていく。そんな店づくりのあり方について考えさせてくれるものでした。

平日の昼間、店前を行き来するのは近所の猫だけ。
杉の木が映える住居一体型のガレージ本屋「すぎのいえ書房」
太平洋の海沿いに位置し、映画「フラガール」の舞台でも知られる福島県・いわき市。一年を通して穏やかな気候に包まれるこの町に「すぎのいえ書房」がオープンしたのは、2025年10月7日のことです。

地元産の杉をふんだんに使用した一軒家のガレージを改装した店内には、8,000冊の本を始め、渡辺さんの人柄が一目で分かるものが賑やかに飾られています。壁に飾られたバイクの部品、店内を走る小さなモノレール、子どもの頃から集めてきたという数えきれないほどのコレクションも。
「このような店内になったのは、自分がそうしたかったから。ただ、それだけなんです。モノレールも1週間ほど前に引いたんですけど、これのおかげで本が売れるかと言われたら、全然関係ないわけですよね(笑)」

「本屋はどんな世界とも容易に繋がれる。それが面白そうだなと」
渡辺さんと本との関わりは、幼少期まで遡ります。
「父が書店員でしたから、本は幼少期から身近な存在でした。その一方、私はというと全く関係のない技術職に長年従事し、人生が後半にさしかかったタイミングで早期退職をすることに。何をしたら楽しいか、そんなことを考えた結果、組織人としての仕事に対するアプローチとは真逆のやりかたで仕事がしたいと考えるようになり、書店という自由な形に着地しました」
「本屋は、どんなジャンル、どんな世界とも容易につながれる商材だと思うんですよね」

店内には車やバイクなどに関連したものが多く飾られているものの、それに紐づいたものが並んでいるというわけではありません。コンセプトを明確にしない、これがすぎのいえ書房の軸となっている考え方です。
「本屋なので、いろんな本をとにかく置きたくて。できるだけ自分のバイアスをかけた選書はしないよう心がけています。訪れた人に「こんな本もあったんだ」「こんな世界もあったんだ」という、偶然の出会いを楽しんでもらいたいんです」
棚ごとに大まかにジャンル分けはされているものの、中には違うジャンルを紛れ込ませたり、遊び心溢れるポップを置いてみたり。お客さんを楽しませたいという気持ちが反映されています。

「レシートには日記を綴り、店内にはモノレールを走らせて」。自分がやりたいと思ったことを100 %できる面白さ
渡辺さんの遊び心は、本を購入した後にも感じられます。それが一枚の長いレシート。
「どこで物を買ってもレシートって出てくるとは思うんですけれど、そのレシートに私が毎朝思ったこと、出来事をツラツラとかいた日記を載せています」
オープン当初に行っていたことが好評で、続けているうちに名物になったそう。

本の売上に直接繋がる取り組みではないものの、自分がやってみたいと思ったことを形にできることが、自分の店を持つ面白さだと話します。
「自分がやりたいと思ったことを100%やり切れるのは、自分でお店を持つ醍醐味ですし、それがないとしたらお店を持つ意味はないのかなと思っています」

名誉店長・にゃんたろうが導いてくれた、本屋さんという道
渡辺さんが本屋さんになることを決めた、大きな出来事は元々迷い猫だった「にゃんたろう」との出会い、そして別れです。
「猫が特別好きというわけではなかったのですが、縁だと思って一緒に暮らし始めたんです。それが、2015年のことでした。その後、9年間一緒に暮らしたわけですが、すぎのいえ書房をオープンするちょうど1年前、2024年10月7日に亡くなりまして」

「あまりにも悲しくて、そして一緒に過ごした時間を忘れたくなくて、『にゃんたろうさん - ぼくの時間をムダにした、ある猫の物語』という本を書いたんです」
書くこと、思い出すこと、読むこと。その経験が「本屋って面白い商売かも」という気づきにつながり、新たな一歩を踏み出す後押しになったそうです。

大切な一冊は、無駄の中に価値があることを教えてくれる 『星の王子さま』
「好きなところを挙げるとキリがありませんが、一番は「無駄」の中にある価値を見事に描いている点です。現代はネットだけでなくAIも急速に普及し、ますます“コスパ”や“タイパ”なんかが重要視されがちですよね」
その一方、人が何かに夢中になるということは、無駄を伴うことでもあると話します。
「人間が楽しいと思えることに、損得感情は発生しないと思っていて。何かに熱中したり、没頭したり。その中に無駄があるからこそ、人生は面白いんじゃないでしょうか」

AIは合理的な判断を得意とする中で、人間にしか生み出せないものがあると話します。
「偶発性というのは、人間が本来持っているもので一番と言えるほどの価値だと思っていて、その中にはお客さんとの会話も数えられます。職種や年齢、これまで歩んできた人生、何もかも違う人と話したり、知らなかったことを教えてもらったりする時間が本当に人生を豊かにしてくれていると思います」

「自分が楽しんだ結果、誰かの楽しさにつながったら、これ以上幸せなことはありません」
最後に、渡辺さんにとっての幸せについて聞きました。
「幸せっていうのは、やっぱり一人一人当然違うものですし、同じ人間でもその時その時で多分変わると思うんですね。今の自分にとっての幸せは、自分が心から楽しいと思うことが、誰かを楽しませることに繋がったことを実感できたときかな」

「自分一人だけで完結する楽しさもあるとは思いますが、自身の中では何か中途半端な感覚で、自分が楽しんだことによって誰かが楽しんでくれると、幸せが倍どころか何百倍にも感じられます」
効率や正解が求められる時代の中で、すぎのいえ書房が大切にしているのは、寄り道や偶然の出会いです。渡辺さんが楽しみながら積み重ねたものが、訪れる人の心を動かしていく。そんな本屋のあり方が、静かにそこにありました。



