しあわせのカタチ

古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。

13|転んで、わかること
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。

連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。

第13回目は、子どもが転んでしまったことをきっかけに感じたことついて。

子育てをする中で、大切なことを学ばせてもらう瞬間が、何度もあります。今朝、登園途中の道で、子どもが転びました。歩道の脇の、少し段差のある場所を、楽しそうに歩いていたときのことです。

いくら口で「危ないよ」と伝えても、身体で分からないうちは、本当には分からない。転んではじめて、「ああ、こういうことか」と理解する。

これは、子どもだけの話ではなく、大人も同じなのだと思います。体感を伴わないかぎり、人は本当には理解できないし、変わることもできない。話を聞いて「なるほど」と思うだけでは何も変わらないということを、私自身、何度も経験してきました。

たとえば、このエッセイでわが家の暮らしを書かせていただいていますが、もしこれが、誰かが自分だけの幸せのかたちを探し始める小さなきっかけになれたなら。

ふと、「自分もやってみようかな」と思ったその瞬間に、ほんの小さな一歩でも動いてみてほしいのです。その経験こそが、何より大切なのだと思っています。

さて、自分でも厄介だなと感じるのが、「ケガをすることを恐れて、飛び出さないこと」です。仕事でも、暮らしでも、人間関係でも、何か違うと感じていたり、本当はやってみたいことがあるのに、同じ日々の枠から抜け出さない。

新しい環境に踏み出すより、今までと同じルーティンを繰り返すほうが、たしかに傷つくリスクは少ないのです。けれど、本当にそれでいいのでしょうか。

子育てに置き換えてみると、ケガをさせたくないからといって、「外は危ないから、ずっとここにいなさい」と閉じ込めてしまうようなもの。

私はときどき、同じことを自分にしてしまっているのだと気づきます。本当の愛情は「外へ出て、世界を見ておいで」と、信じて送り出すことなのだと思います。

たくさんの経験をして、傷ついて、痛い思いをして、その中でようやく、自分が何を望んでいるのか、何が好きで、何が嫌なのか、自分にとっての幸せとは何かを、見つけていくのだと思います。

だから子どもたちには、守られる安心だけでなく、体感する自由を渡したい。そして私自身も、転ぶことを怖がらずに、挑戦し続ける大人でありたいと思っています。

子どもたちを見守るまなざしで、自分自身のことも見つめてあげたいのです。年齢を重ねるにつれて、新しいことに挑戦する機会は少しずつ減っていくのかもしれません。

けれどありがたいことに、わが家には子どもたちがいて、毎年のように新しい世界へと連れて行ってくれます。

四月からは彼らも小学生。これからどんな日々が待っているのでしょう。新しい環境にドキドキしているのは、きっと子どもたちだけではなく、私たち親も同じです。

たくさん転び、たくさん傷つき、そのぶんだけ、新しい景色を見ていけたらいいな。私はいまも、人生の途中にいます。子どもと一緒に転びながら、好奇心を手放さずに、これからも歩いていこうと思っています。

織 ORI|かのや主宰

織 ORI|かのや主宰

東京都青梅市にあるおよそ築100年の古民家に、夫と双子とともに暮らす。建築士・インテリアデザイナーとしての経験を生かし、古い建物が持つ美しさを大切にしながら、その人が本当に心地よく生きられる暮らしを、かたちにする手伝いをしている。

文・写真/織 ORI
記事制作/株式会社ZEN PLACE

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