古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
14|うつわが教えてくれた丁寧さ
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。
連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。
第14回目は、うつわが教えてくれた丁寧さについて。

いつからか、料理よりも先に、うつわを選ぶようになっていました。気がつけば、“うつわ好き”になっていたのです。興味を持ち始めたのは、自分で料理をするようになってから。
はじめは、真っ白な磁器のお皿を使っていました。お手頃で扱いやすく重宝していたのですが、だんだんと、どこか味気なく感じるようになってきました。
“もっとうつわに表情がほしい”
“手に持ったときに、あたたかさを感じたい”
そんな思いが芽生えてからは、量産のものでは満たされなくなりました。それから、自分がときめくうつわ探しが始まりました。器屋を巡り、作家さんの作品たちを見て、触れて、気に入ったものを少しずつ家に迎えていきました。
それぞれのうつわには、思い出があります。
釉薬の美しさに一目惚れしたもの。手に取った瞬間、使っている風景が浮かんだもの。少しいびつで、手づくりならではのゆらぎを感じるもの。
“このうつわには、この料理をのせたいな”と、具体的にイメージが浮かぶものは、私にとって良い出会いの合図。迎え入れたあとは、やはり日常で手に取る回数が増えていきます。

リム(縁が一段高くなっている造り)のある木の平皿は、地元の木工作家、椿堂さんのもの。青梅の木材を使い、節や欠けをそのまま個性として活かしています。
「大切にしすぎず、日常でどんどん使ってください。傷もそのうつわの顔ですから」
そんな心強い言葉も、うつわと一緒に持ち帰りました。山菜料理の教室で出会ったのは、久保田由貴さんのうつわ。ざらりとした独特の手触りと、淡い釉薬の色合いに惹かれ、気づけば料理よりもうつわのことをたくさん質問していました。
青や黒のうつわは、料理の差し色になり、食材を引き立ててくれます。黒には白を、青には赤や茶色を。すると、いつもの料理が少しだけ違って見える。それはまるで、うつわの小さな魔法のようです。
さまざまなうつわを集め、何をのせようかと考えながら料理をし、食卓の景色を目でも楽しむ。けれど、うつわが教えてくれたのは、そんな楽しさだけではありませんでした。

数年前、当時愛用していた湯呑みを、まだ赤ちゃんだった子どもたちが落として割ってしまった時のこと。とてもショックでしたが、捨てきれず、自分で金継ぎをして直しました。
するとそれは、わが家にしかない一点物の湯呑みとして、また新しい表情を見せてくれたのです。うつわに、もう一度命が宿ったような気がしました。その出来事のあと、しばらく子どもたちには割れない樹脂製の器を使っていました。
けれど、壊れないと分かっているせいか、どこか扱いが雑になっていることに気づきました。そこで磁器やガラスの器に戻すと、割れることを知っているからこそ、両手でゆっくりと持つようになったのです。
木のうつわで汁物を飲むときも、どこか大切にしているような仕草が見えます。傷つくことや、割れてしまうことは欠点ではなく、人がものを大切に扱う気持ちを育ててくれるもの。
どんなうつわにのせるかで料理が変わるように、どんなうつわで受け取るかで、人の所作や気持ちも変わるもの、なのかもしれません。
そして、もし割れてしまっても、その傷を美しさとして繋ぎ直す“金継ぎ”という技法がある。うつわの世界は、思っていたよりも、ずっと奥深いものですね。
今日もどのうつわを手に取ろうかと、食器棚を開け眺めている時間が、私にとっての小さな楽しみです。

