しあわせのカタチ

古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。

15|わぁ、と生きる
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。

連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。

第15回目は、日常の中に隠れた喜びに気づかせてくれる春について。

春は、美しいものが多すぎる季節だと思います。

特に里山の近くに越してきてからは、その美しさに、何度も足を止められるようになりました。冬のあいだ、どこか静まり返っていた景色の中に、レンゲソウやホトケノザといった、小さくて可憐な野の花たちが、ある日ふいに顔を出しはじめます。

やわらかな春の光は、それまで固まっていた身体を、こちらの準備なんてお構いなしに、するりとほどいてきます。

里山の麓を埋め尽くす一面のチューリップ畑や、ある朝、窓の外いっぱいに広がる満開の桜。その景色に出会うたび、思わず「わぁ」と声がこぼれてしまいます。

それは、きれいだな、と思うよりも先に、身体の奥から反応があふれてくるような感覚。生きている喜びのようなこの感覚を、春は無言で私たちの目の前に届けてくれます。

けれど、その「わぁ」は、春だけの特別なものではなく、本当は日常の至るところにも、静かに潜んでいるのだと思うのです。

好きなうつわを手に取る瞬間に。珈琲をひと口飲むときのあたたかさに。電車がホームに滑り込んでくる、その流れるような動きに。子どもの寝顔の、やわらかな静けさに。

窓から差し込む光が、そっと揺れるそのひとときに。

私はそうした日々のふとした場面に感嘆しながら、生きていたいと強く思っていますが、でもそれは、日常の中だからこそつい忘れがちでもあるのです。

先日も、小学生になった子どもたちと登校時間に間に合うよう、朝支度の練習をしていました。

新しい環境に慣れないせいか、思うようには動いてくれず、「遅刻しちゃうよ」と何度も声をかけながら、なんとか支度を終わらせて家を出る。

そんな数日を過ごしているうちに、私の心の中が少しずつ濁っていくのを感じました。

遅刻しないようにと時間に囚われ、目の前にあるはずの小さな喜びに、気づけなくなっている。そしてそれは、とても苦しいものでした。

毎朝急がせていた時間、その裏側で子ども達は、昨日自分で描いた絵を何度も嬉しそうに眺め、納得がいくまで髪を結び直し、満足いくとニンマリしていて、お気に入りの服を着ては、鏡の前でくるりと回ってみて、スプーンを持ったまま、窓の外に見とれていたり、外に出て草に触れ、虫を探し、頬にあたるやわらかな風を楽しんでいた。

そう、彼らは、朝の一瞬一瞬に春のような喜びを見つけ、足を止めてその小さな喜びを味わっていました。

「あぁ、そうだ。また忘れていた。私も、そうやって生きていたいんだった」

時間やタスクに追われ、駆け足で何も感じずに通り過ぎていくのではなく、目の前のことに、身体ごと触れて、考えるよりも先に「わぁ」と感じるような在り方で生きていたい。

春の景色に心を動かされるように、日々の中にもある小さな美しさに、足を止め気づける自分でいたいのです。

人生から、その感嘆の瞬間を、自分で取りこぼしてしまわないように。春は私にとって、そんな大切なことを教えてくれる季節です。そして今日もまた、どこかで小さな「わぁ」と出会えることを、楽しみにしています。

織 ORI|かのや主宰

織 ORI|かのや主宰

東京都青梅市にあるおよそ築100年の古民家に、夫と双子とともに暮らす。建築士・インテリアデザイナーとしての経験を生かし、古い建物が持つ美しさを大切にしながら、その人が本当に心地よく生きられる暮らしを、かたちにする手伝いをしている。

文・写真/織 ORI
記事制作/株式会社ZEN PLACE

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