しあわせのカタチ

古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。

16|扉の向こうは、今日も風が吹く
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。

連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。

第16回目は、不都合な事が起きた時に”乗り越える”のではなく、渦中での”立ち方”を学んだプロセスについて。

生きていると、多かれ少なかれ予期せぬ出来事が起こります。 その大きさは人それぞれですが、ときには簡単に受け止めきれないようなことも起こるものです。

私は自分のことを感受性が強いほうだと感じています。 嬉しいことがあれば、その喜びも大きく、 辛いことがあれば、その苦しみもまた人一倍大きく感じてしまいます。
そう、これを書いている数日のあいだにも、 自分の手には負えないトラブルや、不安になる出来事が重なって起きていました。

その渦中にいるとき、身体は強張り、息は浅くなり、みぞおちのあたりがぎゅっと締め付けられるような感覚が続きます。
以前の私であれば、そのままネガティブな思考が止まらなくなり、 「自分の何がいけなかったのだろう」とか、 「こんなことになるなら、何もしなければよかった」などと、波に飲み込まれることも多かったものです。

もちろん、今回も同じような思考は浮かんできました。 けれどそう言う時こそ、呼吸に意識を向けて、身体感覚に戻ることが大切なことを、今は知っているのです。
庭に出て外の空気を吸い、飲み物のあたたかさを手で感じたりしてみる。 胸のザワザワが少し静かになったところで、現実で起きていることを客観視してみます。

「起きたことは、起きたこと」で仕方ない。 そしてそれは「やがて通り過ぎていくもの」 そう自分に言い聞かせてみます。
出来事そのものがなくなるわけではありませんが、それに飲み込まれていた自分が、少し距離を持って俯瞰できている感覚。

少しずつ身体にあたたかさが戻り、冷静に対処しようと前向きに動けるようになりました。 こうした出来事は、嵐に似ているなと思います。突然やってきて、人の力ではどうにもできないもの。

外に出て嵐に向かって文句を言うのではなく、 雨戸を閉めるように、できるだけの対策をしたのなら、あとはただ家の中で過ぎ去るのを待つ。 嵐は、いつの間にか去っていきます。 そしてそのあとには、少し澄んだ空気が残る。

今回も、あれほど強張っていた身体がゆるみ、呼吸が戻ってくると、ただ静かに「きっと、大丈夫」と思える自分がいました。 以前よりも少しだけ、嵐との付き合い方や、自分なりの対処法が分かってきたのだと思います。

そして人生は、こうした経験の積み重ねなのだと、ふと思いました。 まだ経験の少ない子どもたちは、私から見れば些細に思えることで悩み、四苦八苦しています。
そして私よりも人生経験の多い方からすれば、今の私の悩みもまた、同じように大したことのないものに映るのだと思います。

そう考えると、思わぬ出来事が起きないようにと願うのではなく、出来事に対する感じ方や、それを受け取る自分の在り方が変わっていくこと。これがきっと、成長と言うものなのかもしれません。

今回も、何かを乗り越えたというよりは、嵐の中での立ち方を少しだけ知れた感覚。 でもそれは、実際に経験してみないと分からない感覚なのです。 そのうち、嵐の中にいる時間さえも、受け入れられるようになるのかもしれない。

もしそうなれたら、私は今よりも少しずつ、軽やかに生きていける気がします。 嵐の渦中にいるときはやはり大変だけれど、 それでも、たくさんの経験を重ねた、軽やかな人生の先輩でありたい。

そんな一筋の光を頼りに、今日もそっと扉を開けて、外へ出ていきます。

織 ORI|かのや主宰

織 ORI|かのや主宰

東京都青梅市にあるおよそ築100年の古民家に、夫と双子とともに暮らす。建築士・インテリアデザイナーとしての経験を生かし、古い建物が持つ美しさを大切にしながら、その人が本当に心地よく生きられる暮らしを、かたちにする手伝いをしている。

文・写真/織 ORI
記事制作/株式会社ZEN PLACE

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