地域おこし協力隊・デザイナー、野村史絵波さんの暮らし

「“地域おこしなんて偉いね”と言われるけど、その気持ちが全てじゃない」|海を望む古民家で3人暮らし。“あの日の海”と地元の痕跡を辿る、野村史絵波さんの穏やかな1日

ーー「震災以降、大好きだった海はずっと、少し怖いままだったけど」16歳で被災し、29歳でUターン。“あの日の痕跡”を辿る、野村史絵波さんの穏やかな1日

海を望む一軒の家。そこには、以前暮らしていた人たちの気配や、この町で積み重ねられてきた時間の痕跡が残っています。福島県いわき市へUターンした野村史絵波さんは、土地に残された歴史や人の営みと向き合っています。

「”地元へ貢献したい”。その気持ちが全てで活動してるわけではないんです。それよりも、好奇心というか、土地に根付いた歴史を知るのが楽しくて」

東日本大震災以前に使われていた漁の道具や暮らしの中にある小さな痕跡から、誰かが生きてきた時間に触れる。地域おこし協力隊としても活動する野村さんの、海とともにある暮らしを訪ねました。

船主に、事務所、原発作業員。かつての住人の痕跡をそのまま残した海辺の自宅

家の中を歩いていると、部屋番号やメッセージが書かれたテプラといった、前に暮らしていた人たちの気配が、ふと目に留まります。

「もともとは船主さんのお宅だったそうです。東日本大震災後には、原発作業員の宿舎になっていた時期もあったと聞きました」

Uターンを機に江名地区で暮らすことを決め、住まいを探して地域を歩いていたある日のこと。近所の人に「空き家はありませんか」と尋ねると、「隣が空いているよ」と教えてもらったのが、この家だったそうです。

「最初は「大きな家だな:という印象だけだったものの、この家が歩んできた話を聞いていくうちに、その歴史ごと好きになっていって。なるべく、人の痕跡を消さないようにしようと思ったんです」

海が少し怖い存在のまま。その気持ちをどうにか消化したかった

小さい頃から、海はすぐそばにありました。実家は、現在暮らしている江名地区から車で20分ほど。浜辺へ遊びに行ったり、海を眺めたり。特別なことをしなくても、海のある風景の中にいる時間が好きでした。

「この海のある風景に、すごく自分が助けられていたというか、リラックスできる場所だなというのを、小さい頃からずっと思っていました」

東日本大震災を境に大好きだった海は、しばらくの間、怖いものとして心に残り続けたといいます。

復興もままならない地元を18歳で離れ、東京の美術大学へ進学。卒業後は、工芸技術を生かしたものづくりを行う会社へ就職し、奈良にも移り住みました。

「東京にいたときも奈良にいたときも、がむしゃらに働くことに一生懸命になっていました。一方、大好きだった海は少し怖い存在のまま。その気持ちを自分の中でどうにか消化したかったんです。それもいわきへUターンした一つの理由だったのかなと思います」

戻ってくるまでは肩書きが欲しかった。今は何者になってもいいと思える

好きだったものづくりと関われる仕事は、自分と向き合う時間でもありました。けれど、いわきへ戻り、地域で暮らし始めたことで、核となっていた気持ちに変化していったといいます。

「特に東京で暮らしていた頃は、何者かになりたかったというか…デザイナーという肩書きが欲しくて。ただ、今は全くそうは思っていません、むしろ肩書きを持つことで、その枠の中に閉じ込められてしまう感覚があるんです」

地域おこし協力隊として、漁具を調べ、土地の歴史に触れ、地域の人たちと関わる日々。その中で感じたのは、ひとつの肩書きだけでは表せない、人や暮らしの面白さでした。

「何者にでもなれるし、何者になってもいいと思えるのが今です」

現在は、パートナーである野村隆文さんと二人で活動するデザインユニット「文と絵」としても、地域イベントで使われるポスターやチラシなどグラフィック制作を行っています。

地域を助けたい、その一心だけじゃなくて、地域に根付く文化・歴史を面白がれる

自宅から歩いて10分ほどの倉庫には、かつてこの海で使われていた道具が静かに眠っています。江名地区で大切に残されてきた漁に使用する道具、漁具です。

野村さんの活動の中でも根幹となっているのが、それらを一つひとつ調べ、記録していくという作業。名称や使われていた年代、誰がどのように使っていたのか。分からないことを調べながら、台帳へ記入していきます。

「基本的に私が生まれる前に使われていたものばかり。ただ、自分の知らない時代を行き来しているような感覚があって、とても面白いなと思っています」

この活動に向き合う理由は、「地域を助けたい」という気持ちだけではありません。

「「若いのに地域貢献して偉いね」とお声がけいただくんですけど、それよりも、好奇心というか、土地に根付いた歴史を知るのが面白くて。上京する18歳までは何もない場所だと思っていたけれど、今になって気づいたのは、知らなかっただけということでした」

「今はここでしか得られない感覚を大事にしたい」。面白さを入り口に、次の誰かに手渡していくということ

倉庫に眠っている漁具を、どうしたらもっと身近に感じてもらえるか。それを考える中で生まれた一つが、自分で消しゴムはんこを彫り、オリジナルの手ぬぐいをつくる「ぎょぬぐい」のワークショップでした。

参加した子どもたちは、最初に「漁具って何だろう」という話の後に、思い思いにスタンプを押しながら手ぬぐいをつくりました。また、夏には家の目の前にある入江を使い、子どもたちがSUPを体験できるイベントも企画しています。

海で遊ぶこと。地域に残る文化を知ること。どちらも特別なものとして構えるのではなく、楽しみながら触れてもらうことを大切にしています。

自分自身が感じた面白さを、次の誰かへ手渡していく。その積み重ねが、この土地との関わり方になっています。

「東京や奈良で暮らしていた頃は、目の前の仕事に向き合うことに一生懸命でした。そんな中で、少し落ち着いた暮らしがしたいと思うようになり、いわきへ戻ってきました」

「今の自分には、ここでしか得られない感覚を得ることが大事で。東京にはいきたい時に行ければ、十分満足できるかなと思ってるんです」

「自分が満足した状態が続いていくこと」が幸せ

「時には苦しい思いをするかもしれないですが、それをどう乗り越えていくか…ちょっとでも楽しめないかなぁとか考えたりして。自分が幸せじゃないと、自分の家族も幸せにできないので、まずは自分が満足をしていて幸せな状態に。それがどんどん広がるといいなと思ってます」

海の近くで暮らし、土地に残されたものに触れながら過ごす日々。2024年に生まれた第一子と隆文さんとともに、この町での時間を重ねています。

野村史絵波さん

野村史絵波さん

福島県いわき市出身。女子美術大学でプロダクトデザインを学んだ後、日本の工芸技術を生かしたものづくりの会社へ入社。東京、奈良で店舗販売を経験した後、いわきへUターン。地域おこし協力隊として、江名地区に残る漁具の調査・記録や、地域の歴史を伝えるワークショップの企画などに取り組む。夫とともにデザインユニット「文と絵」としても活動中。

Instagram: tn_tkrn

画像/船場拓真
記事制作/株式会社ZEN PLACE
※本記事は2026年6月に行った取材をもとに制作されたものです

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