02|ちゃんとしない、という選択
古民家暮らし、「かのや」の
青梅日日記。
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
01|幸せを感じる暮らしに、戻るまで

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。
今月から始まる連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。
第1回目は都心から青梅へと移り住んで感じた、暮らしや時間に対する価値観の変化について。

新宿から電車で1時間ほど。山々に囲まれ、ごうごうと流れる上流の多摩川が目の前に広がる青梅市は、東京とは思えないような場所。その竹林のふもとに佇む、築およそ100年の古民家。
7年前、私はこの地にご縁をいただき、越してきました。この家に名前をつけてみようと思い立ち、地名にちなんで名づけたのが「かのや」。住処をそう呼ぶようになってから、家への愛着は深まり、気づけばそれは、自身の屋号にもなっていました。
それまでは、パートナーと都心でマンション暮らし。お互いの職場にも近く、仕事にはやりがいがありましたが、その分、忙しさも増していきました。終電で帰宅することも多く、夜は売れ残った半額シールのお弁当を食べ、ただ寝に帰るだけの家。
休日も、体は疲れ切っていて、せっかく出かけても、頭の中は仕事のことでいっぱいでした。もちろん、若い頃の苦労は、買ってでもしてよかった。あの時間が、今の私を育ててくれたことに、迷いはありません。
でも、このままの生活を続けていくのだろうか。そう立ち止まったのは、30歳を過ぎた頃。私は、どんな暮らしをしたいのか。自分に、真剣に問いかけてみました。環八道路沿いのマンション。排気ガスと騒音で、窓を開けられない暮らし。本当は、窓を開けて外の空気を吸いたい。洗濯物を、太陽の下で干したい。

そんな小さな望みを、パートナーに伝えたことが始まりでした。
理想の暮らしを探して、この地に移り住み、生活は、大きく変わりました。朝は、目覚ましのアラームではなく、差し込む朝日と、鳥の声で目覚めます。食卓は、残り物のお弁当から、畑で育てた旬の野菜でつくる、日々の手料理に。慌ただしかった朝は、多摩川と山々を望む、気持ちのよい散歩から始まります。
締め切ったままだった家は、風の音や、雨の匂い、四季の温度を感じられる家になりました。見知らぬ土地でしたが、地域の人たちは皆さん優しく、仕事も家でできる無理のない形へと変わりました。
以前の私は、「幸せになるため」に生きていたのだと思います。頭で考えた「幸せになる」ための何かを得るために、遅くまで働いて、お金を稼いで、一瞬の達成感を味わっては、また次の「幸せ」を追いかける。そんな循環の中に、いました。
けれど、ここで暮らしていくうちに結果が出ていなくても、何かの成果になっていなくても、私は、幸せを感じるようになったのです。
それは、心と身体で「感じる」ものなのだと、ここでの暮らしが教えてくれました。日常の中で、「最終的な結果」よりも、「この道のりを、今この瞬間をどう感じたいか」を大切にすると、一瞬一瞬に、静かな満足が宿るのを感じます。

例えば、買い物。「しなくてはいけないこと」だった外出は、道すがらの景色を眺めながら風を感じる、ささやかなサイクリングの時間にしました。すると買い物は、楽しみの時間の“ついで”にやることへと変わっていきました。
子どもの送迎の時間も、子どもの目線に立って歩いてみると、いつもの道が、毎日ちいさな冒険に出かけるような時間になりました。
あれほど眩しくて、雨戸で閉め切っていた夕方の西陽も、庭に木を植えたことで、縁側の床に揺れる木漏れ日へと姿を変え、光の美しさを、私に教えてくれました。
この小さな「幸せを感じている瞬間」こそが、「幸せである状態」なのだと、今は思います。何かにならなきゃ。何かを成し遂げなきゃ。そう信じて生きてきた私にとってスピードや効率、成果を手放すことは、正直、少し怖い選択でした。
けれど、その先に待っていたのは、忘れていた「幸せを感じる感覚」。今日も、日常のささいなことに、「私は、何を感じたいだろう?」とそっと問いかけながら、心と身体がよろこぶ方を選んでいく。私はこの場所で、幸せを探す生き方から、幸せを感じる生き方へと、静かに、戻りつつあるのだと思います。

