03|五感が開く
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
02|ちゃんとしない、という選択

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。
連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。
第2回目は「かのや」での生活で選択をした「ちゃんとしない」という暮らし方について。

「丁寧な暮らしをされているんですね」と声をかけていただくことがあります。でも、ごめんなさい。実はとても面倒くさがり屋です。掃除はあまり好きではありませんし、寒い冬の大掃除なんてもってのほか! 休日はあたたかい縁側で何もせずに、ゴロゴロしていたい人間です。
ただひとつ、自分の感覚や心の声にはとても丁寧に向き合っているつもりでいます。
真剣に自分の心の声に耳を傾けようと思ったのは、子どもが生まれてからのことでした。初めての出産は双子。しかも、生後6か月の頃にコロナウイルスが蔓延し、親や知人に頼ることができなくなりました。
「私たち夫婦だけで、この子たちを育てなくては」
この時、“親の私がしっかりしなければ”というスイッチが入ったように思います。
慣れない乳幼児の子育てに、仕事、家事。夜泣きで寝不足の日が続き、だんだんと心の余裕がなくなっていきました。まだ言葉も理解できない子どもに、私は何度「早くして」と言ったでしょうか。
双子が生まれたとき、「無事に生まれてきてくれただけで、もう何も望むものはない」とただ“存在してくれていること”に幸せを感じていたはずなのに。いつの間にか私は、出来ていないことに腹を立て、子どもとの暮らしを幸せだと感じられなくなっていました。

「このまま同じように子育てを続けるのは、つらい」。そう感じて、自分の内側に、そっと問いを投げかけてみました。
子どもに「危ないから」「ダメだよ」と言ってしまうとき、私は子どものことを心配しているのだと思っていました。けれど、よく感じてみると、本当に苦しかったのは“心配している自分の感情そのもの”だったのです。不安や恐れをできるだけ早く消したくて、子どもを止めようとしていました。
さらにその奥には、親として「ちゃんとしていなきゃ」という世間の声があることにも気づきました。良い親でいなきゃ。失敗させちゃいけない。
その声に従っていると、子どものたくましさを信じることができなくなり、同時に、自分の心もどんどん苦しくなっていきました。
本当は、「寝なきゃいけない時間」なんて忘れて、あたたかい毛布の中で子どもの体温を感じながら、今日ふたりが見てきた世界の話を眠りにつくまで聞いていたい。
本当は、「お行儀よく食べる」ことなど気にせず、食べたいものを、好きな場所で、自由に食べて笑い合いたい。
親としての「ちゃんとしなきゃ」を少しずつ手放し、「本当はどうしたい?」と自分に問いかけてみたら、子どもは、思っていたよりずっとたくましく、遊びは独創的で、楽しさに大喜び。その笑顔を見て、私の心にも、少しずつ幸せが戻ってきました。

この気づきをきっかけに、暮らしの中にあるさまざまな「ちゃんとしなきゃ」も、少しずつ手放していくようになりました。母親として、当然やらなければいけないと思っていた家事や仕事も、したくないときは、しない。
そのかわり「やりたいことを、やりたいときにやる」という選択をする自分を、許すことにしました。
一、二日、掃除や洗濯をしなくても、人は死にません。仕事も焦ってやるほど、ミスばかり増えるものです。ご飯を作りたくない日は、その気持ちを、素直に伝えます。すると主人は、嬉しそうに自分の好きなお惣菜を買って帰ってきます。
それでも時々、「〜しなきゃ」という声に追われて、心がぎゅっと縮こまる感覚になることがあります。そんなときは、「あぶない、あぶない」と立ち止まり、ふうっと、深呼吸。
あたたかい飲み物を飲んで、疲れているときは、きちんと休む。そうしていると、パワーが湧いてきて、あれほど、億劫だった家事がささっと片付く、なんて事もよくありますから不思議ですね。
今、わが家の建具は子どもたちのお絵かき帳です。息をはーっと吹きかけて白くなったところに絵を描いたり、チューをするとキスマークが残るのが面白いみたい。硝子にペンで描いた絵を「見て見て!」と誇らしげに見せてくれます。
以前の私なら、きっと「やめて、そんなところに書かないで」と言っていたこと。でも今は、「子どもらしくて、可愛いな」と思える。小さな手跡と唇跡と落書きがついた窓を見るたびに幸せを感じる。
「ちゃんとしなきゃ」を手放して、本当によかったと感じる瞬間です。

