08|西の魔女に憧れた、現代のわたし
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
07|おかげさまで、暮らしています

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。
連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。
第7回目は、「おかげさまで」で繋がる地域について。

マンションに住んでいた頃、仕事で帰りが遅いこともあって、隣人に会うことはほとんどありませんでした。同じエレベーターに乗り合わせても、どこの階の誰なのか分からない。
むしろ、誰にも会いたくない感覚すらありました。壁一枚隔てた隣の人は、完全に「知らない人」だったのです。
今思えば、それはマンション暮らしだから、ということではなく、“知らない”でいることが、怖かったのだと思います。きっとお互いに顔を合わせ、話す機会があったなら、この感覚も違っていたのでしょう。
未知のものに対する恐怖。これは青梅に越してくるときも同じで、見知らぬ土地へ行くことへの不安がありました。
引っ越し初日、挨拶周りをしていると、たまたま地域の集まりがあり、「ちょうどいいから」と、そのまま連れて行かれました。見知らぬ人たちの前で、「は、初めまして……」と震える声で挨拶したことを、今もよく覚えています。
それがきっかけで、私たちはまだ誰の名前も知らないのに、すれ違う地域の方は皆、私たちのことを知っている。そんな状態から、ここでの暮らしは始まりました。
笑顔で挨拶してくださるその様子から、新しく越してきた私たちを迎えてくれているのだと感じました。
とても緊張したけれど、あの時、集会で挨拶をして本当に良かった。今はそう思います。それから私たちも、地域の運動会や氏子会の活動に参加し、少しずつ顔や名前、行事を覚えていきました。

こちらが心を開くと、相手は、もう一歩心を開いてくれる。当時、隣人と交流のない生活に慣れていた私にはかなりのハードルでしたが、思い切って飛び込んでみたら、そこにはあたたかい世界がありました。
近所の組長のおじさんは、私が畑を作り始めると、良い肥料が売っているお店まで車で連れて行ってくれ、事あるごとに畑の様子を見に来てくれます。
古民家にもともと住んでいたおばあちゃんは、私を娘のように気にかけてくれて、山菜の取り方や筍の茹で方、家の中に風を通すにはどの窓を開けたらいいかまで、たくさんのことを教えてくれました。
赤ちゃんが生まれ、泣き声がうるさいのではと心配していると、「泣き声が聞こえない方が心配なのよ。泣き声が聞こえると、元気だなって安心するの」
そんなふうに言ってもらいました。地域の方に、そっと見守ってもらっている。その安心感は、親も友人もいない土地に越してきた私たちにとって、とても心強いものでした。
その後、コロナが蔓延し、地域の活動はなくなり、近所の人と会う機会もぐっと減りました。家と保育園を往復するだけの毎日。このまま家にいるのはもったいない。もっと地域のことを知りたい。

そう思ったとき、地元農家さんがつくる畑のコミュニティを見つけました。そこでは、野菜やきのこを一緒に育て、収穫し、その場で調理して、野原に座って食べる。子どもたちは広い畑を裸足で走り回る。
自粛生活に疲れていた私にとって、畑でのんびり自然を楽しみ、ゆるやかに地元の人とつながる時間は、大きな救いでした。
都心では、お金を払ってサービスを受け取る、点と点の関係が多かったように思います。ここでは、物や体験と一緒に、関係が回っていく。一度会うと知り合いになり、また声がかかり、それが少しずつ重なっていく。
もちろん、こうした距離感が煩わしく感じる人もいると思います。人付き合いが苦手で、田舎が合わないと感じる気持ちもよく分かります。ただ、私には、この形が合っていました。
私がここで暮らせているのは、特別なことをしているからではなく、たくさんの人たちの手に、そっと支えられているから。そう気がついてから、よく使うようになった言葉があります。
「おかげさまで」
私は今日も、この土地の自然と、地域の人々に支えられながら暮らしています。さまざまな人のおかげさまで、生きているということ。
そのことに、日々、静かに感謝しています。

