09|世界は、わたしのためにある(と思ってみる)
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
08|西の魔女に憧れた、現代のわたし

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。
連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。
第8回目は、 古民家暮らしの朝昼晩の過ごし方について。

「西の魔女が死んだ」(梨木香歩)という小説に出会ったころ、わたしはまだ20代で、その若さだけでがむしゃらに働く毎日を送っていました。
西の魔女の暮らしは、カッコウが鳴く山の家で目覚め、冴えざえとした朝の空気の中、湯を沸かし、庭のハーブでお茶を淹れ、産みたての鶏の卵と畑の野菜でサンドイッチをつくる。
小説の中の話ではあるものの、当時の自分の現実とはあまりにもかけ離れた、夢のような暮らしは、忙しさの中にいた私の心を強く掴み、その後の人生を見つめ直すきっかけになったのです。
当時の私の朝は何度も鳴り響くアラームを止め、まだ眠たい身体を「早く起きないと遅刻するぞ」と、頭の声でたたき起こす、身体を置き去りにしていた生活。
そこから、西の魔女のような暮らしに少しでも近づきたいと、試行錯誤しながら身体のリズムや季節のうつろいに身を委ねる方向へと舵を切っていきました。
朝はまず、「目覚めたとき、いちばん最初に何を目にしたいか」を考えるところから始まりました。
古民家に越してきた頃は、朝日に照らされた庭の木々と鳥の声。子どもが生まれてからは、子どもたちの寝顔と、静かな寝息。
まだ寝ぼけ眼の布団の中で、隣で眠る子どもの匂いを嗅いだり、あたたかい体温に触れたりするのが朝の至福です。

だから、目覚ましのアラーム音では起きたくない。でも、起きなきゃいけない時間はある。
そんなわがままな思いから、タイマーで少しずつ明るくなる照明を取り入れてみることに。部屋がだんだん明るくなると、自然と目が覚めるようになってきました。
それでも、すっきり起きられる日もあれば、二度寝してしまい、大慌てで支度する日もあります。
そんなときも、自分を責めるのではなく、「まだ少し、睡眠が足りなかったんだな」と、身体を労わるようにしています。
子どもたちを保育園に送ったあとは、川沿いの道を少し遠回りして歩くのが日課です。遠くの山を眺めながら、伸びをして、深呼吸をする。
そうやって、身体をゆっくり目覚めさせてから、一日を始めます。日中はパソコンに向かう時間が長いので、お昼はなるべく縁側や近くの公園で過ごし、のんびりと日光浴をしながら、力を抜く時間を少しでも取るようにしています。
夕方になると、あたりは次第に青色に包まれていきます。ブルーモーメントと呼ばれるこの時間が、私はとても好きです。灯りをつけず、ただ静かに、その青さを味わいます。

やがて、窓の外にやわらかな明かりが漏れる頃、暖色の灯りをともして、家族を迎える準備をします。
以前は、「部屋が暗い」と家族に言われることもありましたが、でも私には、明るすぎる光はどうも落ち着かない。今の家は、和紙越しのやわらかな灯りと、間接照明が中心です。
夜の暗さと、灯りだまりのあたたかさの両方を感じながら、一日が静かにほどけていきます。
人は、太陽の動きに影響を受けながら生きている。朝、光を浴びて目覚め、日が沈むと、自然と眠くなる。
その当たり前の流れを、家の中でも感じられるようにしたくて、私は、照明の力を借りながら、一日を巡らせています。
こうして、時間や頭の声に急かされる生活ではなく、身体の感覚を頼りに、日々を選び直すようになりました。
早すぎるように感じる世の中のスピードに、無理に合わせなくても良い、そんなふうに感じるようになりました。
小説の中の夢のような暮らしをそのまま再現出来てはいないけれど自分の身体に耳を澄ませながら生きる、という感覚だけは、あの物語から受け取った、大切な贈りものです。
憧れだった西の魔女の暮らし。現代を生きる私なりのかたちで、今日もまた、身体と一緒に一日を始めています。

