しあわせのカタチ

古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。

古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
09|世界は、わたしのためにある(と思ってみる)

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。

連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。

第9回目は、日々を見つめるときの変わった癖について。

習慣について書いてみよう、と考えていたら、自分の中の変な癖を見つけました。最初に言っておきますが、変です。変わってる、と自覚しています。でも、時々やってしまう考え方の習慣。

たとえば駅のホームで電車を待っているとき。「もうすぐ私のための専用車両がやってくる」「私を目的地まで運ぶために、専用の運転手が走らせてくれているの」「ここまで来るために、どれだけの人がどれだけの時間と労力をかけて線路を引いてくれたんだろう、ありがたいわ」

子どもと道を歩いているときも。
「今日もこの子たちが、可愛さと元気を道ゆく人に振りまいている……!」

選挙に行った日には。
「また、私の一票が国を動かしてしまった。」

図書館では。
「まぁ、こんなにたくさん、私のために本を用意してくれて。読みきれないわ」「空調も完備されていて、トイレなんて私のために5個も付けたのね!」

そろそろ書いていて、自分でも呆れてきたのでこのくらいにしますが、あたかも自分が王女様にでもなった気分で過ごす、という癖があります。

どうしてこんな癖がついたのか。思い返してみると、私はもともと自己肯定感がそれほど高いほうではありません。

物事の側面を、ついネガティブに捉えてしまう。同じ出来事でも軽やかに受け取れる人を見るたび、どうしてあんなふうに感じられるのだろう、と不思議に思っていました。

どうしたら、世界の見え方を変えられるのだろう。そう考えて試行錯誤する中で思いついたのが、この“王女様ごっこ”だったのです。

自分を王女様のように扱ってみる。世界が全部、自分のために用意されているかのように想像してみる。最初は半分冗談のつもりでした。けれど不思議なことに、続けているうち、同じ景色が少し違って見え始めたのです。

それまで乗るのが億劫だった通勤電車も、ただの移動手段ではなく、私を運ぶために走ってくれている特別なものに思える。図書館は本を保管する場所ではなく、私のために物語を差し出してくれる贈り物の部屋に見えてくる。空調やトイレにすら感動してきます。

ネガティブな気分のとき、「ポジティブでいないと」「感謝しなきゃ」と自分に言い聞かせても上手くいかなかったのに、王女様になりきると、なぜか自然と世界がありがたいものに見えてくるのです。

世界が変わったわけではありません。変わったのは、見方だけ。ほんの少し見方を変えるだけで、世界の輪郭はやわらかくなる。

この小さな癖は、私なりの“ご機嫌でいるための習慣”なのだと思います。

ところで、いつも前向きな主人に「普段どうやってその心持ちを保ってるの?」と聞いたことがあります。返ってきたのは、「別に何も意識してないけど?」という一言。ネガティブ出身の私は、軽く衝撃を受けました。…なるほど、天然ポジティブとはこのことか、と。

だからこそ思うのです。人にはそれぞれ、自分なりの機嫌の取り方があっていいのだと。

もし気分が晴れない日があったら、試しに自分が王様や人気アイドルにでもなったつもりで過ごしてみてください。

「私がここにいるだけで、周りの人たちが幸せになっている」「さっきの笑顔で、半径3メートル以内の人々をメロメロにさせてしまった…」

そんなふうに思えたなら、もう完璧です。ただひとつだけ注意点があります。声に出して周りに言わないこと。それさえ守れば、この習慣はきっと、あなたの味方になってくれます。

織 ORI 「かのや主宰』

織 ORI 「かのや主宰』

東京都青梅市にあるおよそ築100年の古民家に、夫と双子とともに暮らす。建築士・インテリアデザイナーとしての経験を生かし、古い建物が持つ美しさを大切にしながら、その人が本当に心地よく生きられる暮らしを、かたちにする手伝いをしている。

文・写真/織 ORI
記事制作/株式会社ZEN PLACE

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