古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。
11|憧れの朝は庭にあった
古民家暮らし、「かのや」の青梅日日記。

山々に囲まれ、すぐそばには多摩川が流れる青梅の古民家「かのや」。暮らすのは織さんと夫と6歳の双子の子どもたち。ここでは何かを成し遂げるためではなく、日々の中に宿る感覚を丁寧に受け取ることから始まります。
連載「古民家暮らし、「かのや」の青梅日日(にちにち)記。」では、幸せを“探す”生き方から、“感じる”生き方へと戻った織さんと家族の日々が綴られます。
第11回目は、庭の実りが教えてくれた本質的な豊かさについて。

愛読している作家の江國香織さん。彼女の著書の中に、朝はゆっくりお風呂に2時間入り、朝食がわりに季節の果物をたらふく食べる…そんなくだりがあります。それを読んだ私は、“なんて優雅な朝なんだろう”と驚き、いつか私もこんなふうに朝を過ごしてみたい、と憧れを膨らませました。
当時、果物といえばスーパーで買うもの。値段もそれなりにするので、毎朝食べる、というわけにはいきませんでした。ところがこの地に越してから、庭や裏山にあふれるほどの柑橘が実るのを目にして、ふと思ったのです。
「果樹を植えて、自分で育てればいいのか」
それからというもの、梅、柿、レモン、姫林檎、蜜柑、イチヂク、ブラックベリー、ラズベリー、苺……庭には少しずつ果樹や苗が増えていきました。桃栗三年柿八年、というように、まだ実のならない木もあります。
けれど、毎年少しずつ大きくなっていく姿を見るのは、それだけで嬉しいものです。一方、苺などのベリー類はすぐ実り、念願だった採れたてを頬張る喜びも味わえました。

収穫が多い年には、ジャムやシロップにして楽しみます。ことこと煮える鍋から立ちのぼる、甘い果実の香り。台所いっぱいに広がるその匂いは、心までほどいてくれるようです。
氷砂糖と一緒に瓶に漬けた梅や金柑は、艶やかな宝石のようで、つい毎日眺めてしまいます。味や大きさは、市販のものに及ばないかもしれません。
それでも、自分で育てる楽しさ、朝、庭に出て採れたてをいただく喜び、惜しみなく自家製ジャムを作れる贅沢。私が本当に味わいたかったのは、きっとこちらのほうでした。
この喜びを知ってからというもの、ただ買って食べるだけでは、少し物足りなく感じるようになりました。やがて私は、果樹だけでなく足元に生える草にも目を向けるようになります。

図書館で借りた野草の本を片手に観察してみると、それらは「雑草」ではなく、それぞれに名前があり、食べられたり、効能があったりすることを知りました。たとえばスギナは、乾燥させると青海苔のような風味になり、たんぽぽは花も葉も食べられる。
北側の日陰に茂る、あの嫌われ者のドクダミ。そのエキスに蚊除け効果があると知ったときは、思わず感心してしまい、すぐに季節の手仕事リストに加えました。
梅雨の時期に仕込み、一か月後、蚊の出る季節に使う。自然の巡りは、実によく出来ています。こうして足元の草の名前を一つずつ知ったとき、私はもう、スーパーで豊かさを探さなくなっていました。
かつて私は、作家の優雅な朝に憧れていました。けれど今思えば、惹かれていたのは「優雅さ」ではなく、季節と共に暮らす感覚だったのかもしれません。庭に実る果実も、足元に生える草も、特別な場所へ行かなくても、すでにここにあります。
その豊かさに気づき、楽しめる心こそが、いちばん大切なのだと感じています。今朝の朝食は、手作りヨーグルトに庭で採れた文旦のはちみつ漬けをたっぷり乗せて。気がつけば、あの頃憧れていた朝に、少しだけ近づいていました。

