しあわせのカタチ

波のまにまに、地域おこし

波のまにまに、地域おこし
06|弔い的アーカイブ

福島県・いわき市で暮らす野村史絵波さん。東京、奈良での暮らしを経て地元でもあるこの地に戻ってきたのは、2023年のことです。海からほど近い古民家で夫、そして1歳の子どもと暮らしながら、地域おこし協力隊として故郷と未来を繋ぐお仕事をしています。

連載「波のまにまに、地域おこし」では、そんな史絵波さんが好奇心を源に海、街、人を紡いでいく様子をお届けします(たまに日常の便りも)。第6回目は、“物生”について。

全国各地の博物館で収蔵スペース不足が深刻なようです。一昨年、奈良県立民俗博物館では収蔵品の整理のため休館期間が設けられ、保存か廃棄かの検討が進められました。

私も住んでいる地域の漁具(漁業の道具)のアーカイブ活動をしているので、この選択の難しさにとても共感しています。時代の変化と暮らしの移り変わりを映し出す民俗資料の価値は、時間が経った先の未来に見出されることがほとんど。

だけど、それを待っている間にどんどん物は生み出されるし、全部とっておこうとしてもスペースは限られている。しかも、物の寿命よりも、人の寿命のほうが圧倒的に短い。

世代を超えて、資料としての価値が共有できていないと廃棄されかねない。今まさに私もアーカイブ活動の中で頭を抱えていることでもあります。

様々な博物館を訪ねて、学芸員さんと話をしていくうちになんとなく見えてきた風景があります。それは、博物館は物の墓場であること。本来の使い方での役割を終え、情報としての保存を目的に生かされている。

見方によってはグロテスクかもしれないけど、大事な役割を担っているとも思います。物を見て、触って、あるいは分解して、人は物を理解する。少なくとも私はそうして育ったので物が好き。

その好きが高じて、物(道具)を使ってデザイナーとしてご飯を食べているので敬意すらあります。冒頭の「保存か廃棄か」という問いは、物に対して資料価値を感じる人間としても、ただの物好きとしても、なんとも苦しい二択なのです。

「博物館が物の墓場かもしれない」と思ったことで、私は自身のアーカイブ活動を「弔い」と捉えることにしました。人には人生があって、寿命がある。それは物にもいえることかもしれない。人と物の関係は密接です。

少なくとも、今活動で扱っている漁具は、使用当時に愛着をもって使われたことで、捨てるのには惜しくて保存してほしいと流れ着いてきた物でもあります。人との思い出を宿した物だからこそ、本来の使い方は記録として残しつつ、どう弔うのがいいのかを考えてみようと思いました。

弔うといっても、処分だけではありません。分解して再利用できる道はあるのか、形はそのままに新たな使い方を見出すことができるのか、どうしても処分するのであれば、次の新たな物が生み出されるサイクルをつくれるよう、環境負荷が少なく処分できないか、とか。

まだまだ実験段階だけれど、弔いにはきっと手段がいくつもあるし、新たな人生ならぬ“物生”が始まるかもしれない。

物に限らず、いろんなことで「終わり方」を考えることは、新たな循環を生むことに繋がっているように思います。

野村史絵波

野村史絵波

1994年生まれ。福島県いわき市出身。女子美術大学卒業後、300年の歴史を持つ奈良の老舗生活雑貨店へ入社。仕事を通じてまちづくり、故郷への関心が深まり、2023年に地元へUターン。現在は夫と子どもと3人で暮らしながら、地域おこし協力隊として活動中。地元漁師が使ってきた漁具の調査・記録をしながら、資料館をつくることを目指している。

Instagram: tn_tkrn

文・写真・絵/野村史絵波
記事制作/株式会社ZEN PLACE

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